横浜地方裁判所 昭和37年(行ウ)19号 判決 1966年4月20日
茅ヶ崎市小和田三、九三〇番地
原告
秋元利三郎
右訴訟理代人弁護士
増本一彦
藤沢市朝日町一番地の一一
被告
藤沢税務署長
尾崎護
被告指定代理人
法務省訟務局号五課長
真鍋薫
右同
法務省訟務局法務事務官
石塚重夫
右同
東京国税局直税部大蔵事務官
小林良一
右同
右同
中井昭
右同
右同
松富善行
右同
右同
青木茂雄
右同
東京国税局総務部大蔵事務官
近藤一久
主文
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者双方の申立
(一) 原告
(1) 被告が原告に対しなした昭和三七年分所得税更正決定に対する原告の異議申立を棄却する旨の昭和三九年七月一一日付決定を取消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
(1) 原告の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
第一原告の主張
(一) 原告は昭和三九年四月一三日付で、被告に対し、昭和三七年分所得税更正決定に対する異議を申立てたところ、同年七月一一日付で、被告より、右異議申立を棄却する旨の決定(以下本件決定と略称する)を受け、右異議申立決定書は昭和三九年七月一二日頃原告に到着した。
(二) 右異議申立決定書には、左記のとおりの理由記載がある。異議申立について調査したところ、理由がないと認められるので棄却する。
(三) ところで、行政不服審査法(以下審査法という)第四八条、第四一条第一項によれば、右のごとき処分についての異議申立に対する決定には理由を記載しなくてはならぬものとされている。その趣旨は、決定機関の判断が慎重になされることを担保し、よつてその判断が恣意的にならぬよう、また不公正なものとならぬように保障せんとするにある。その趣旨をいかすために、理由の記載は、異議申立人の不服事由に対応して、その結論に到達した過程を明らかにしなくてはならないのである。既に最高裁判所は法人税法(旧)第三五条第五項の審査決定における理由の記載につき法「(旧)訴願法や行政不服審査法の裁決の理由付記と同様に、決定機関の判断を慎重ならしめるとともに、審査決定が審査機関の恣意に流れないようにその公正を保障するためと解されるから、その理由どしては、請求人の不服事由に対応して、その結論に到達した過程を明らかにしなければならない。」と判示したうえ、更に「このことは請求人が棄却の理由を推知できる場合であると否とに、かかわりのないものと解すべきである。」とまで判示しているのである(最高裁第第二小法廷昭和三七年一二月二六日判決最高裁判所判例集第一六巻第一二号二五五七頁)。
さすれば本件決定には行政不服審査法第四八条、第四一条第一項の規定に従い、少なくとも第一にいかなる調査によつて更生決定をしたのであるかを、第二に更正決定の具体的根拠を記載しなくてはならない筈である。
ところが、本件決定は、被告のなした更正決定を正当として支持した判断の根拠を何んら明らかにしていない。本件決定書自体からは、何故かかる結論に至つたかの理由経過も、あるいは調査経過も、全く不明である。これは法律の保障する異議申立制度自体をも根本的に否定せんとする態度といわなくてはならない。
(四) 以上の次第であつて、原告は東京国税局長に対し、更正決定の審査請求をもなしていたのであるが、それはそれとして、本件決定には、(三)記載のとおりの瑕疵があつて、当然本件決定は取消さるべきものである故、本訴請求に及んだ次第である。
第三被告の答弁及び主張
(一) 原告の主張第一、二項は認める。第三項中、異議申立に対する決定の理由付記に関し原告主張の規定があること、また最高裁判所が原告主張どおりの判決をなしていることは認める。しかし本件決定は右法条の趣旨にそうもので適法な処分である。詳細は(三)及び(四)において述べるとおりである。第四項中原告がその主張どおり審査請求をなしたことは認めるが、その余は争う。
(二) 本訴は訴の利益を欠くというべきである。即ち原告は自ら第二(四)で主張しているように、本件(異議)決定を経た後、更正決定に不服があるとして、東京国税局長に対し、本件異議申立において主張した違法事由をも含む事項を審査請求の趣旨及び理由として審査請求中のところ、同局長は昭和四〇年一〇月八日付で審査請求棄却の裁決をなし(乙第九号証)、これを原告に通知した。右裁決のなされたことにより本訴は訴の利益を欠くに至つたといわざるをえない。何故ならば、本訴において仮に本件(異議)決定が取り消されると、異議申立中の段階にもどることになるが、国税通則法第八〇条第一項第一号の規定により、右の異議申立は、審査請求をなしているものとみなされる。しかし右に記載したとおり既に裁決がなされている以上、審査庁としては再度に亘つて実体的判断をする必要も実益もないのであるから、却下の裁決をする外ないことになる。かように終局的に却下の裁決がなされることが明確となつている以上、本訴は無意味なもので、訴の利益がないと考えざるをえないからである。
(三) (現行異議申立制度についての被告の見解)異議申立制度は他の行政不服申立方法とならんで、国民の権利利益の救済とともに、行政の適正な運営を図るためとられている制度であることはいう迄もない。即ち処分の相手方たる国民の権利利益の救済と行政の適正な運営とは同じ比重を以て考慮せらるべきであつて、不当な行政権の恣意的な行使が許されないと共に、国民の権利利益の救済だけを重視することもまた許されず、従つて不真面目な、ことさら行政の執行にいいがかりをつける不服申立に対してまで真に救済を必要とする場合の不服申立と同じような扱いをして、そのため不当に行政の精力を奪われるような結果となることは避けなければならない。このため法は種々の配慮をしている。不服申立は原則として書面によることとし(審査法第九条)、その書面には一定の記載事項を定め(同法第一五条)、不服申立の趣旨及び理由を明記させ、行政庁に対し何を、いかなる理由で求めるかを明らかにさせることとしている。行政庁がその処分をするにつき。一定の場合にその理由を付記することを規定して、相手方の理解の便に供し、行政庁の恣意を抑制する効果を期待しているのに対応して、行政庁に対し不服を申し立てる側については、その不服の由つてくる根拠を事実上、法律上の観点から明らかにすることを決めているのである。
法はこの要請を全うするため、可能の場合には補正を命ずることによつて、十分に国民の不服申立を聞こうとする建前をとつているけれども、これに応じないときは不服申立を却下することとしている(同法第二一条)のは国民の権利利益の救済にもおのずから限度があることを端的に示している。審査にあたつては、書面審査を原則とするが、国民の権利利益の救済の見地から意見陳述権を認めて、書面による申立を補わしめている(同法第二五条)。又不服申立人の申立によつてのみならず、行政庁の職権による立証資料の蒐集等を認めている(同法第二六乃至三〇条)。即ち法は不服申立を十分に行政庁において検討させるため相手方に補正、意見陳述の機会を与え、かつ、行政庁も不服申立人に意を尽させるよう行動することについて配慮し、国民の権利利益の伸長に留意すると共に、これに応ぜず、真摯にその申立をしようとしない者に対してはおのずから保障の薄いことを表明し、又立証についても、不服申立人側の提出権は勿論行政庁においても職権蒐集を規定し、不服申立人の言い分の当否を能う限り実質的に認定しうるよう配慮すると共に、これを提出しようとしない不服申立人はその不利益を自ら負担すべきことを予定しているといわねばならない。
ところで法においては、原告の主張するとおり、異議申立に対する決定には理由を付すべきことが明記されている(同法第四一条、第四八条)ものの、しかしその記載の程度については規定するところがないので、解釈によつて決せられるべきこととなる。そうすると審査法が前記の如き規定をおき、国民の権利救済と適正な行政の確保を期していることからすれば、国民の不服申立の態度が理由記載の程度に影響を及ぼすのは当然のことといわなくてはならない。不服申立の趣旨、理由を詳細に述べてくる者に対しては、応答するにあたつておのずからその理由は詳細でなくてはならぬことになるであろう。しかしその不服申立が法律上無意味なものであるとか、単に不服であると申し立てるにとどまり、処分庁の釈明にも応じないものなどについては決定の理由付記は簡単なもので足りるのである。最高裁判所が理由付記について「不服の事由に対応して……」と判示している(昭和三七年一二月二六日最高裁判所判例集第一六巻第一二号第二五五九頁)のはかような趣旨であると解することができる。しかして「不服の事由に対応して」記載する場合、決定の内容たる判断の経過過程迄書かなくてはならないかどうかについては最高裁判所はその必要がないと判示している(昭和三三月八月五日訟務月報五巻四号一〇八頁)。けだし当然のことであつて、裁判所の判決のように詳細な理由の記載を必要とすることは、行政執行に著しく過重な負担を強いる結果を招き審査法の趣旨に反することになるからである。そして最高裁判所は更に理由の付記を要しない源泉徴収賦課決定に対する再調査決定において「調査の結果、その理由は認められないため、これを棄却しましたから通知します」と付記した事案についてこれを正当とした下級審の判決を是認している(昭和三七年六月九日訟務月報九巻八号九九頁)。
要するに、異議申立に対する決定についての理由付記の程度は一般的にこれを論定することはできないのであつて、それは種種の要因によつて、左右される。例えば法律上無意味なことを不服として申し立てたり、不服の内容が漠然としていて、これを詳細にする努力を不服申立人が回避しているとか、不服を申し立てながら、これを釈明する行政庁の調査活動に消極的態度を示し、不服申立行為そのものと矛盾するような場合には、その不服に対応して結論のみを簡潔に記載すれば足るというべきである(昭和三九年一〇月一六日大阪地裁判決)。
(四) (本件決定に関しての原告の態度)原告は白色申告者として昭和三七年分の確定申告をなしたが、被告の調査の結果によると過少であつたので、昭和三九年三月一三日被告は右につき更正ならびに過少申告加算税決定(以下更正等という)を行つた。これに対し原告は同年四月一三日被告に異議申立をなした。その理由とするところは、第一に被告が原告につき何ら調査しないままで、一方的に更正等の決定をしたのは不当であること、第二に原告のなした確定申告は過少でないことであるとする。
しかし被告は右更正決定に当り、可能な限り原告を調査しており、右理由の第一は事実に反する。しかもかような場合原告自身を調査しなければならぬ法的根拠はないのである。よつて第一の理由による原告の異議申立は事実と相違するし、またその申立自体としても法律的意味をもつものとはいえない。かような法律上無意味な行政庁に対するいいがかりとしかいえないような不服申立に対しては、単にこれを棄却する旨の結論のみを簡潔に示せば足りるものであることは(三)で詳述したところである。次に第二の理由であるが、原告は過少でないという漠然たる理由を示すのみで、不服の内容としては何ら具体的な事由を述べていない。不服であるなら正当課税標準税額等はこれこれの資料によりいくらであるから、これを超えるものは正当でないと具体的に主張立証すべきで、さきになした所得金額のみの申告では不充分であるのに、これを全くしない。それどころかこの点について被告がこころみた釈明あるいは調査を原告は拒否する有様で補正命令をだそうにも原告のかかる態度ではその効なきこと明らかである。よつて第二の理由による原告の異議申立は不服の内容が漠然としており、これを詳細にする努力を申立人が回避しているうえ、釈明せんとする行政庁の調査活動に消極的態度を示す故、結局第一の理由におけると同一結果とならざるをえないのである。
その事情を詳述すると左記のとおりである。
まず更正等の決定に至る迄の事情について述べると、被告指揮下の税務署員が昭和三八年一一月六日から、納税義務者本人につき調査のため臨店したところ、四回のうち三回迄は原告本人が不在であり調査に応ずることに極めて消極的であつた。右の場合原告の妻が対応したが、いずれも神奈川県民主商工会藤沢支部(以下民商という)の事務局員が同席し、例えば家族の名前を訊ねても忘れたとか、原告の在宅時刻は不明である。夜中ならいるといつたような応答をなし、要するに社会常識に照らして理解し難い答弁をし、その他の質問には一切答弁しないという態度をとつた。原告の主張するような「調査日時を約束しれくれれば応ずる」などという発言はなされていない。これは右のような原告側の故意に署員を追返そうとする如き応接態度からも裏書きされよう。
又署員が原告本人と面接しえた昭和三九年一月二九日にもやはり民商事務局員が同席しており、本人は全く質問に応ぜず非協力的であつた。そこで署員は原告に対し協力方を懇請したところ、後日あらためて回答すると約しておきながら、なんら回答もせず、かような原告の態度のため、直接原告から調査資料をうることが殆んど不可能で調査は極めて難渋した。そこで被告としては原告の関係取引先等の調査によつて更正等を行つたのである。かようないわゆる反面調査を行うことは法律上認められているところであり、原告の営業妨害などになるわけがない。原告は異議申立の理由中で、留守中署員が臨店したことは知つていると述べているが、右のように原告本人が署員と面接しておりながら、調査に応じなかつたこともあるのであつて、原告の異議申立の理由は事実に反する主張を含んでいるうえ、原告及びその妻の税務署員に対する態度はいたずらに署員を困惑させ、職務の円滑な遂行を阻害する底のもので、かかる態度をとりつつ被告が一方的に更正決定をなしたと非難する原告の言い分は理不尽ないいがかりといつても過言ではないであろう。
原告の応度は、異議申立に対する決定をなす際にも同様であつた。すなわち、昭和三九年六月末頃原告方に電話をもつて、調査に都合のよい日を問い合わせたところ、七月上旬ならよいとの返事をえた。そこで改めて日取りを決めることとし、七月一日原告に電話したところ、原告が不在であつたので、電話で原告に都合のよい日を回答して貰うことを確約した。しかるに原告は、この約に従わず、原告からの再度の問い合わせで(異議申立代理人中村税理士を介しての回答で)ようやく九日に決まつたような次第である。当日税務署員が原告方に赴き、原告にその異議申立の理由をただそうとして種種発問したのであるが、原告は全く発言せず、中村税理士も約束に反し立会つておらず、原告に帳簿書類等の証拠書類の提出を促しても、これを拒否する有様で、原告の異議申立の真意がはかりかねた。結局被告としては、更正決定当時の経過の詳細を再確認し、更に原告の不服の事由を具体的に把握すべく努めたけれども、原告が更正決定等を不服とする内容としては、異議申立書に記載された事由以上のものを知りえない状況になり、この記載されたところにもとづいて本件決定を下さざるをえなかつたのである。なお、補正命令については、正式にはこれを行なわなかつたが、これは形式をさけて、むしろ実質的に審理の内容を充実させれば足り、また、その方が行政的にも望ましいという見解に立つたからである。補正命令を発しなかつたことが、本件決定の違法原因とならないことは言うまでもない。
(五) 仮りに本件決定に理由不備の違法があつても、既に(二)で述べたとおり裁決がなされ、これには詳細に理由を記載しているのであるから、結局違法性は消滅したというべく、本訴は棄却さるべきである。即ち行政事件訴訟法は原則として、抗告訴訟には行政不服申立の前置制度をとつていないのに拘らず、課税処分等国税に関する法律にもとづく処分については、特に行政不服申立の前置を、しかも、二段階に分けて規定している。これは処分の大量性、回帰性等という特殊性に基づくもので、これにより、行政庁の処理の統一をはかり、行政庁内部の事務処理の反省の要請を充たそうとするもので、これはまさに国民の権利救済の趣旨に合致するといわねばならぬ。そして行政事件訴訟法等八条第三項は、処分につき審査請求がなされているときは、裁決がなされる迄訴訟手続を中止することができると定めている。これは裁判所が行政庁内部における最終的判断に依拠して司法的判断を加えようとする趣旨であると解せられる。これらを綜合すれば、裁判所は裁決に至る迄の経過で是正された上での行政庁の処分につき、その適否を判断することを制度的に定めているといわざるをえない。本件についていえば、裁決において、更正決定の根拠を詳細に説明して、原更正決定処分の維持さるべきことを明らかにしているのであるから、原更正決定処分なり、本件異議決定なりについての根拠不明乃至理由不備の違法は消滅したものというべきである。
第四原告の反駁
(一) (第三(二)に対し被告主張どおりの裁決がなされたことは認めるが、これにより本訴が訴の利益を欠くに至つたとの主張は争う。原告の右主張は行政事件訴訟法第三三条第二項の趣旨を無視した誤りに由来する。即ち同条項は、取消判決があつたときは、判決の趣旨に従い、処分又は裁決をした行政庁は改めて、申請に対する処分又は審査請求に対する裁決をしなくてはならないものとしているのである。従つて本件の場合は取消判決がなされると、その判決の趣旨に従い被告自身が再度異議申立に対する決定をなさなくてはならないことになるのであつて、被告のいうような国税通則法第八〇条第一項第一号の働く余地はなかのである。
(二) (第三(三)に対し)行政不服申立制度は国民の権利利益の救済と行政の適正な運営の確保の両面を有するものであることは被告主張のとおりである。しかし審査法第一条第一項が不服申立制度によつて「国民の権利利益の救済を図ると共に、行政の適正な運営を確保することを目的とする」と規定していることからも明らかなように、審査法下の不服申立制度は国民の権利・利益の救済に重点をおくものである。このことは訴願法では訴願事項列挙主義をとつたのに対し、審査法では一般概括主義をとつていること(同法第四条)、また手続に口頭審理をも採用していること(同法第二五条第一項)、不服申立期間を処分ありたる日の翌日より六〇日間と伸長したこと(同法第一四条、第四五条)、救済手続に教示制度を採用したことにより明らかである。
そして「行政の適正な運営を確保する」ということは、審査法の下では国民の権利利益の救済申立を契機に、行政庁が問題となつた行政につき、その合法性、合目的性を再度審査することを意味する以外の何物でもなくなつたのである。
このようにみれば、仮に被告主張のような不真面目な不服申立があつたにしても、異議申立を受けた行政庁は、当該行政処分が国民の権利利益の保護に欠くるところがないか、また行政の合法性合目的性に欠くるところがないかを判断し、当該行政処分が維持されるべきであると判断したのであればその根拠を不服申立事由に対態して、明らかにすればよいのである。
被告の主張の如く、国民の権利の救済と行政の適正な運営とを相対立する法益とし、後者のため、前者が制約をうけると解すべきではない。不服申立制度は前者を主目的とすることにより、結果的に後者の実現が期せられるものと解すべきである。
被告はその主張を根拠付けようとして、審査法は種々の配慮をなしていると縷々述べるけれども、それらの立法趣旨は必ずしも被告の主張の如きものとはいえないのである。なる程審査法は不服申立に原則的に書面主義を採用し(同法第九条)、その必要的記載事項(同法第一五条)を定めているけれども、前者は今日の複雑な行政組織の下で不服申立の存在を明確にしておくためやむなく国民に負担を課したものであり、後者は申立人の適格や申立内容を明確にすることを要請しているにすぎずそれ以上の特別の理由はない。これら規定の趣旨目的を被告主張のように解することは、民事、訴訟法が第二二三条及び第二二四条により訴提起を書面によることとし、その必要的記載事項を定めていることをもつて、濫訴を防止せんとしたものと説明するのとひとしく滑稽なことになるであろう。また審査法は第二一条で補正命令に応じない申立を却下できることにしているけれども、これは却下できることに重点があるのでなく、正に審査庁は補正できるものは相当の期間を定めて補正を命じなくてはならないという補正命令発令の義務を課している点に意義があるのである。これこそ国民の権利利益の救済申立を能う限り維持しなくてはならないという法の要請以外の何ものでもない。審査法第二五条の審理方式についても、口頭による意見陳述の申出には必ず機会を与えなくてはならぬとしているのであり、又同法第二六条乃至第三〇条についても申立人に立証活動の権限を認めているのは、国民の権利の救済をできる限りひろげんとするためであり、職権発動を認めているのも何よりも当該処分が正当であるか否かの判断を、つまり実体的真実の発見を審査庁に課しているからに他ならない。即ち不服申立を判断する行政庁は審査法第一条第一項の精神に遵い、国民の権利の救済と行政の合法性・合目的性を貫く義務があるのだから、不服申立の審査に当つては、単に不服申立人の立証活動に任せず、自ら職権をもつて真実発見に努めるのが当然であるからである。以上の論述から明かな如く、審査法第四一条が理由付記を要求しているのも、同法第一条第一項の精神すなわち、国民の権利利益の救済を主目的とする立法精神より発しているのであるから、その理由をどの程度詳細に示さなくてはならないかは解釈によつて決せられるとしても、最少限度それは申立人の不服の事由に対応し、その決定に到達した過程を明らかにしなくてはならないのである。従つて、行政庁は申立人が真面目でないとか、申立はいいがかりであるといつた類の口実で右の程度の理由付記もしないなどということは許されないのである。
なお被告は自己の主張を根拠づける趣旨で最高裁判所第二小法廷昭和三七年一二月二六日判決(最高裁判所判例集第一六巻第一二号第二五五九頁以下)の一部を引用しているが、これは全く前後の脈絡を無視した不当な歪曲である。これは第一(三)で引用している同判決を一見すれば明らかであつて、被告の引用する「不服の事由に対応して……」の後文は「その結論に到達した過程を明らかにしなければならない。」となつているのである故、被告の主張するような趣旨を有するものでないことは明らかである。
(三) (第三(四)に対し)被告の主張は故意に事実を歪曲している。事実は以下述べるとおりであつて、原告は被告の調査を妨害したことなど全くない。
被告指揮下の税務署員が数回原告方に臨店したことはある。しかしその第一回目の臨店の際原告は不在であつたので、応対した原告の妻あるいは現場に来合わせた民商事務局員は原告が不在で経理決状況は判らない故調査日時を定めてくれれば準備して調査に応ずる旨申述べたのである。ところが税務署員は民商事務局員とは話をしない、調査日時は約束できない旨答え立去つている。その後二回ばかり税務署員が原告方に来訪したことがあるが、原告不在と知ると直ちに立去つている。又原告が署員と面接した昭和三九年一月二九日も、たまたま原告が在宅しているところに税務署員が来訪したので面接できた訳である。この際も突然の臨店なので当時帳簿書類等を全て民商事務局に渡してしまつていたことでもあり、原告は署員に対し調査日時を約束してくれれば準備して調査に応ずる旨述べ署員の了解をえているのである。そしてこの時の来訪は署員の発言するところでも、相互の立場を理解して協力する環境をつくり出そうとの目的でなされたにすぎず調査には着手していない。
更に、昭和三九年七月九日の臨店の際は、中村税理士のみは藤沢税務署法人税調査立会のため、原告方で待機することはできなかつたが、予め日時が約束されていたことであつたので、原告は帳簿書類等を揃えて、税務署員の面前に提示し、自由に閲覧しうるようにし、また異議申立の趣旨理由については、逐一原告側より説明したのである。ところが署員は民商事務局員の同席を理由に、何んら調査をしようとしなかつたのである。被告側は、当初の臨店から、更正決定、本件決定に至る全段階を通じて正当な調査を行なわず、一方的に行政権を行使し、原告に対し補正命令を発することもなく、何ら実質的内容のない理由でもつて、異議申立を棄却したのである。
(四) (第三(五)に対し)被告の主張は全て争う。もとより審査請求に対する裁決には審査法第四一条第一項により理由を付記しなくてはならぬのであるが、これにより異議申立に対する決定の理由不備が治癒されることはない。何故ならば右条項の趣旨は各行政処分ごとに理由を付記することをその効力要件とし、もつてその記載自体だけで行政庁がなした判断の経過を国民に対し明瞭ならしめるに足りるだけ充分な理由を付記することを要求しているものとみられ、従つて別個の行政処分等に付記されている理由でたとえ当該処分の理由が明瞭になるとしても、それは当該処分自体の理由として付記されたものではないから当該処分の効力を何んら左右することはできないものだからである。しかも審査請求に対する裁決の理由は被告の上級庁である国税局長の名で判示されているものの、実質は第三者機関である協議団の議決にもとづき記載されており、被告自身の判断を反映したものではないから、これにより本件(異議)決定の理由を補足することは(判断の主体が異るのであるから)できないはずである。原告は被告自身の判断の理由を示してもらう権利がある。かように被告自身の判断の理由を示してもらう必要は本事案のように更正決定処分の取消をも別途訴訟上において争う必要が生じてきている際(原告は審査請求を棄却されたのであるから)には、とくに大きいといわなくてはならない。
(五) 審査請求は、原処分である更正決定をその審査の対象とするのであつて、異議申立に対する決定を審査の対象としているものではないので、審査請求に対する裁決が異議申立に対する決定の効力に何んら消長を及ぼすものではない。従つて裁決のあつたことをもつて、原告の本訴請求を棄却すべきものとする被告の主張(第三(二)及び(五))はいずれも失当である。
第五証拠
一 原告
(1) 甲第一乃至第四号証を提出。
(2) 乙第六及び第八号証の成立は不知、その余の乙各号証の成立は認める。
二 被告
(1) 乙第一号証、第二号証の一、二、第三及び第四号証、第五号証の一、二、第六乃至九号証、第一〇号証の一乃至五を提出。
(2) 甲各号証の成立を認める。
理由
まず本件訴の利益の有無について検討する。
原告が本件異議決定を経た後、原処分たる被告のした昭和三七年分所得税更正決定につき、東京国税局長に対し、審査請求をしていたところ、同局長は昭和四〇年一〇月八日付で審査請求棄却の裁決をしたことは当事者間に争いがなく、右審査請求の理由中に、原告が本件異議申立てにおいて主張した原処分の違法事由をも含んでいたことは、原告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。ところで、仮に本訴において、本件決定が原告主張のように理由の記載を欠く違法ありとして取り消されると、被告は異議申立てに対する実体的判断を示さなければならないようにみえるけれども(行政事件訴訟法第三三条第二項)、この場合、すでに原告のした異議申立ての日から三月以上を経過していることは本件弁論の全趣旨で明らかであるから、国税通則法第八〇条第一項第一号の定めるところにより、右異議申立ては所轄の東京国税局長に対する審査請求とみなされることになる。そうすると、さきにみたとおり、右みなす審査請求において原告の主張する原処分の違法事由と同一の理由をも含めた原告の審査請求に対し、すでに東京国税局長は審査請求棄却の裁決をしているのであるから、審査庁たる東京国税局長としては、既にした裁決の拘束を受け、これと異る判断を示すことはできないのであり、結局は再度実体的判断をすべき必要性がないものとして、右みなす審査請求を却下する旨の裁決をする外ないことになる。原告の主張するように、異議申立て対する被告自らの実体的判断を得ることは、手続上期待することができないのであり、また実体的にも、すでに原処分に対し上級庁たる東京国税局長の判断が示されている以上、重ねて下級庁たる被告の判断を求める必要も実益もないわけである。この点に関し原告の主張するところは、独自の見解に基くもので、当裁判所の採らないところである。
してみると、原告が本件異議決定の取消を求めることは、すでに法律上の利益ないし必要を失つていることが明らかであるから、本件訴は訴の利益を欠き、不適法として却下すべきものである。
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石沢健 裁判官 谷川克 裁判官藤浦照生は転任のため署名捺印できない。裁判長裁判官 石沢健)